1217_2026手帳年曆

國立臺灣大學圖書館館藏曆算史料解題目錄(下卷)

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內容簡介

臺大日治時期臺北帝國大學理農學部成立「數學教室」,典藏17至19世紀和算珍籍圖書。臺大圖書館正式於2016年起與日本大阪教育大學展開國際合作,由日本科學史專家城地茂教授進行長達十年之目錄調查與研究。其後並與劉伯雯教授合作,將該計畫研究成果編著為《國立臺灣大學圖書館館藏曆算史料解題目錄》上、下兩卷,以利研究者檢索,對日治時期的科學教育與數學研究發展極具參考價值。

下卷主題:〈日文.數學(測量.明治期)〉、〈日文.數學(複刻、雜誌)〉、〈日文.天文學〉、〈日文.物理、其他〉、〈日文.音樂、其他〉、〈日文.術數〉、〈日文.歷史、其他〉。

作者

城地茂(Jochi Shigeru)
倫敦大學亞非學院、博士課程畢業。Ph.D.。國立高雄第一科技大學(今・國立高雄科技大學)元・教授、代理院長。(日本國立)大阪教育大學元・教授。著有《和算的再發現》、《曆的大事典》等。

劉伯雯
(日本)立正大學、博士課程畢業。歷史學博士。國立高雄科技大學教授。著有《中國數學對日本關孝和學派影響》、《日本的鐡道社會:範式的實踐與應用》等。

目錄

城地茂序
總解說
年代區分
關流、最上流系譜
凡例

日文.數學(測量.明治期)
日文.數學(覆刻、雜誌)
日文.天文學
日文.物理/其他
日文.音樂/其他
日文.術數
日文.歷史/其他
書目總覽

序/導讀

總解說

所謂的和算,指的是日本的數學,這是因為於1877年(明治10年),在教育上決定採用西洋數學(洋算),於此之前的數學便被稱為和算。因此,在江戶時代(1603-1867)之前,僅稱其為「算」。也寫成「筭」,從字面上可以看出,這是使用竹製籌(算木)作為計算工具的數學,與其他文化一樣,是從中國傳入的。

在飛鳥時代(592-710),日本試圖模仿古代律令制度時,與曆法等一起引入了隋(581-618)、唐(618-907)等北朝的數學。為了計算曆法,還需要計算圓周率。為此,必須開平方根。開平方術在《九章算術》(不詳,大約25年)中已經完成,《周髀算經》(不詳,大約公元前100年)也可能已經計算出來了。劉徽(西元263年左右)利用它成功地從內接多邊形計算了圓周率。祖沖之(429-500)則計算到小數點以下7位。此外,體積的計算也是必要的,開立方技術及其發展出來的一般三次方程式也在《緝古算經》(王孝通,620年)之前完成。因此,這種「古代」的中國北方數學被引入了日本。在式部省的大學寮,之前提到的數學書就用來教育貴族子弟。

這「古代」的數學在廣義上也可視為和算,但可惜的是當時的書籍並沒有流傳到日本。然而,南宋時期出版的書籍以及清代校正的數學書籍卻得以流傳,並在江戶時代再一次被引進日本。國立臺灣大學並未收藏這些「古代」的數學書(覆刻本)。

由於這是支撐律令體制的數學,編者稱之為「古代」律令時期(554-730)。甚至擬將《周髀算經》受到重視,而導致世襲制度的時期稱為「古代」格式期(731-1246)。

另一方面,作為「古代」的特徵,具有絕對權威的北中國數學,在日本是用來模仿的對象,而非作為應用或改良。唯一流傳下來的數學書是《九司》(未知,年代不詳,已散失),目前在中國或韓國都不復存在,推測可能是在日本編寫,但實際情況並不清楚。

到了13世紀,中國(南宋、元)已經能夠解開高次方程式,並且發明了可以機械性地建立這些高次方程式的天元術。天元術的入門書《算學啟蒙》(朱世傑,1299年)在中國已經失傳,但由於被李氏朝鮮採用為教材,而得以傳入日本。國立臺灣大學保存帶有訓點的版本。天元術是發展「古代」的北中國數學,但到了13世紀,南中國也產生了新的數學。在明代,這種數學發展與算盤相關,用於更快更準確地進行四則運算。解天元術的《算學啟蒙》、《測圓海鏡》(李冶,1248年)中,解方術完全沒有「草」(計算過程),而《數書九章》(秦九韶,1247年)、《楊輝算法》(楊輝,1275年)則更重視計算過程。特別是在《楊輝算法》中,證明了從一個二次方程式中能求出兩個解,並且進一步提出,在求較大的解時,「實」(實數項)會暫時成為負數(翻積)。此外,他還創造了需要多次加法運算的魔法陣(在中國,3階被稱為「洛書」;在日本,則由關孝和命名為「方陣」)。這種趨勢一直延續到明代,當時算盤作為一種計算工具,已逐漸普及。萬曆數學典籍的代表作《算法統宗》(程大位,1592年)中的方陣就使用了《楊輝算法》中的部分內容。

在這些「近世」的數學典籍中,《算法統宗》似乎是透過民間貿易傳入的,但做為李氏朝鮮教科書的《算學啟蒙》與《楊輝算法》則似乎是在豐臣秀吉入侵朝鮮(1592-3年、1597-8年、萬曆朝鮮之役、壬辰之亂)期間獲得的。

就這樣,「近世」南北中國數學傳入日本後,開始獲得應用。在14世紀,《孫子算經》(孫子,400年左右)中的「8桁進法」變成了日本獨有的「4桁進法」,但到了江戶時代,又有了進一步的變化和應用。

到了《塵劫記》(吉田光由,1629年)一書,開始使用四面算盤進行開平方根的商實法運算,克服了算盤難以解高次方程式的缺點。這一時期被認為是「近世」前和算期(1247-1673)。

儘管《塵劫記》成為了暢銷書,但海盜版也大量出版,令吉田光由非常苦惱。國立臺灣大學收藏了幾本名為《塵劫記》的數學書,但它們並非吉田光由的作品,而是後世之作或只是同名書籍。

此外,《塵劫記》還展現了日本獨特的巧思。在中國數學中,通常會記錄問、答、術(根據書的不同,也會記錄計算過程的「草」),供讀者作為教材學習。然而,1641年版的《塵劫記》(俗稱遺題本),卻以不附答案只提出問題的形式,向讀者提出挑戰。書中提出了一些僅憑掌握《塵劫記》仍無法解決的難題。面對此問題,一旦讀者解答了難題(「好」)後,就會提出需要新技巧才能解答的進階問題。這種做法被和算史家遠藤利貞(1843-1915)稱為「遺題繼承」,其中以《塵劫記》《算法闕疑抄》(礒村吉德,1660年)、《算法根源記》(佐藤正興,1669年)、《古今算法記》(澤口一之,1671年)、《發微算法》(關孝和,1674年)這些系列最為著名。通過這些作品,《古今算法記》指出了「翻積法」的特例,使天元術得以初步完成。此外,為解決需要多元高次方程式的遺題,透過《發微算法》,發明了點篡改術(日本式代數系統),將高次方程式提升到了新的階段。這標誌著狹義的和算,也就是日本獨特的數學正式誕生。同時,藉由點篡改術的發明,使該系譜的遺題繼承得以完成。國立臺灣大學僅收藏3013《算法闕疑抄》。

雖然國立臺灣大學並無收藏開創「近世」戡定方和算期(1674-1780)的《發微算法》,但藏有整理關孝和遺稿的5001《括要算法》(關孝和遺稿,1709年)和5002《大成算經》(關孝和,建部賢明,建部賢弘,1710年),這是為了幫助理解關孝和的成就而收集的。

這段時期,遺題繼續進行,有從《天元樵談集》(中村政榮,1702年)開始的系列。該系列已涉及到使用天元術、點竄術進行循環小數的研究等。其中包括《天元樵談集》(中村政榮,1702年)、《下學算法》(穗積與信,1715年)、《中學算法》(青山利水,1719年)、《竿頭算法》(中根彥循,1736;38年)、《開承算法》(池邊清眞,1743;45年)、《闡微算法》(武田濟美,1745;50年25),國立臺灣大學收錄了5014《開承算法》、5015《闡微算法》及5009《算學便蒙》(中尾齊政,1738;1741年)。

這個時期,許多擔任役方(事務性)的武士,特別是擔任財務關係的勘定方(財務會計)的武士,多數成為了數學家,例如關孝和和山路主住。因此,這段時期被稱為「勘定方和算期」,也是和算關派的編撰時期。山路主住編纂了《關流算法草術》(山路主住,1762年左右)作為教科書。然而,儘管對像《塵劫記》這類入門書籍的需求很大,使其得以出版,但學習更高級和算的人卻不多,需求量不足以支撐出版,因此這類書籍只能以手稿的形式流傳下來,學習者也有可能是透過抄寫來學習和算的吧。國立臺灣大學收藏了《關流算法草術》19種22冊。

關流和算確立後,地方村長、富農階層就開始學習,這是因為測量和納稅等都是必要的技能。除了關流以外,還有各派的和算學派,其中會田安明所創立的最上流成為了能夠對抗關流的勢力。藉由被喻為關流教科書《精要算法》(藤田貞資,1781年)的出版,可視為「近世」地方和算期的確立。此外,1720年放寬了對西洋書的禁止。江戶時代為了禁止基督教,包括西洋曆算書在內的所有西洋書都被禁止,直到第8代將軍德川吉宗放寬了禁令,並試圖引進西方科學,也因此引進了如使用納皮爾計算尺和筆算等的西方數學。國立臺灣大學亦藏有8009《籌算指南》(千野乾弘,1767年)。

由於這些譯本是漢文,因此並沒有普及到前述的地方富農階層,而是流傳到如醫學家和軍事學者等武士階級。因此,我想把這個時期稱為近世地方·紅毛和算期。之前提到的《籌算指南》雖早於1781年出版,但做為地方和算層的中心,所以仍以1781年作做為分界點。

此外,在這段期間,相較於前一個時期透過遺題繼承來推動和算,算額奉納的方法也逐漸為和算的傳播做出了貢獻。為了感謝神佛保祐解答了難題,人們奉納了數學的繪馬。確實,也有那樣的成分,然而在和算塾(學校)數量增加的這段期間,也具有宣傳塾派的功能。那是因為和算塾的一門師傅會把弟子奉納的算額作為和算書的附錄,甚至有些和算書的出版只收錄了算額。當時,師傅會向弟子們募集捐款,以作為出版費用。例如7066《溫知算叢》(白石長忠(閱),1828年)的例子,是每人繳納金2朱(1/8兩)。透過此方式籌集出版費用,才得以刊行出版。由於算額置於露天,即使是19世紀的算額,至今亦往往難以解讀。然而透過將算額記錄於和算書之中,所以能將當時的問題流傳至今,形成一種附帶效果。由此可見,算額奉納也有助於和算塾經營的功能,否則,出版新的和算書將會更加困難。

國立臺灣大學的藏書中,有一項特色在於典藏了地方和算期三河(今・愛知縣)岡崎由精堂(關流10傳·廣瀨佑貞,?-1882?)的著作和藏書。迄今為止,由精堂藏書在日本學士院有17種,也許因明治維新等歷史因素,其來歷已不明。然而,在國立臺灣大學卻發現了數量可媲美小型算學私塾的算學和天文學書籍,此事迅速引起了關注。學界對於關流11傳的田中至次(?-?)及同門11傳的川澄德次(1859-1911)等人物,是如何度過明治維新時期亦深感興趣。

最後,是成功度過明治維新的人們所寫的和算書。其中包括洋算派(翻譯派)、陸海軍派及和算轉向派等。不過,當中的大多數已經將研究對象轉向了西方數學。不屬於這些派別的人,正是像遠藤利貞(1843-1915)那樣的人們。他們是懷念和算的人,但他們的執著是極其驚人的。尤其是關注於遺題繼承與算額奉納方面非常出色。此外,進入昭和時代後,古典數學書院(1935年之前稱澤村寫本堂)重印了日本明治前「引以為傲」的數學。又,大約在同一時間,三上義夫(1875-1950)和藤原松三郎(1881-1946)也致力於對這些數學成果的整理。特別是藤原松三郎,他彙整了對撰寫本文幫助極大的《明治前日本數學史》。


日本語解説

和算とは、日本の数学という意味であるが、これは、1877(明治10)年に、教育には西洋数学(洋算)を使うことが決まり、それに対して以前の数学を和算としたものである。したがって、江戸時代(1603-1867)までは、単に「算」と言っていた。「筭」とも書き、字から分かるように竹製の籌(算木)という計算道具を使う数学で、他の文化と同様、中国からもたらされたものだった。

飛鳥時代(592-710)に、古代律令制度を模倣しようとした時代に、暦法などと共に隋(581-618年)、唐(618-907)といった北朝の数学を導入したのである。暦法を計算するためには、円周率の計算も必要になってくる。そのためには、平方根を開くのが必須になってくる。開平方術は、『九章算術』(不詳、25年頃)では完成しており、『周髀算経』(不詳、前100年頃)でも計算できていたかもしれない。それを使い劉徽(263年頃)は内接多角形から円周率の計算に成功した。祖沖之(429 - 500)は小数点以下7桁まで計算している。また、体積の計算も必要であり、開立方術やそれを発展させた一般の三次方程式も『緝古算経』(王孝通、620年)の頃までには完成していた。こうした、「古代」北中国数学が導入されたのである。式部省大学寮で上述した数学書が貴族の子弟に教育されていた。

この「古代」の数学も広義の意味では和算であるが、残念ながら日本には、当時の書籍は伝わっていない。しかし、南宋時代に出版されたものや、清代に校正された数学書が伝わっており、それが、再度江戸時代に輸入されている。国立台湾大学には、こうした「古代」数学書(覆刻本)は入っていない。

律令体制を支える数学なので、編者はこれを「古代」律令期(554- 730)とした。さらに『周髀算経』が重視され、それが世襲制度につながった時代を「古代」格式期(731-1246)としたい。

また、「古代」の特徴として、絶対的な権威をもつ北中国数学は模倣の対象であって、応用したり日本で改良されるべき存在ではなかった。唯一、『九司』(不詳、年不詳、散逸)という数学書名が伝わっているが、これは、今のところ中国にも韓国にも無いもので、もしかすると日本で編纂されたのかもしれないが、その実情は分からない。

13世紀になると、中国(南宋、元)では高次方程式が解けるようになり、その高次方程式を機械的に立てる天元術が発明された。天元術の入門書である『算学啓蒙』(朱世傑、1299年)は、中国では散逸してしまったが、李氏朝鮮で教科書に採用されたため、それが日本に伝わった。国立台湾大学には、それに訓点をほどこしたものがある。天元術は、「古代」の北中国数学を発展させたものであるが、13世紀になると南中国でも新たな数学が生まれた。明代には算盤へと繋がる、四則演算を早く正確に計算するような種類の数学である。天元術を解いた『算学啓蒙』や『測円海鏡』(李冶、1248年)にも解方術は、全く「草」(計算過程)が無かったが、『数書九章』(秦九韶、1247年)や『楊輝算法』(楊輝、1275年)では、計算過程を重視している。特に『楊輝算法』では1つの二次方程式から2つの解が求められることを示し、さらに、大きな方の解を出す場合に、「実」(実数項)が一時的に負数になってしまうことを述べている(翻積)。また、多くの足し算を必要とする魔法陣(中国では3次は「洛書」、日本では関孝和以降「方陣」)の作成もしている。こうした傾向は明代も続き、計算道具として算盤が普及した。万暦数学書群を代表する『算法統宗』(程大位、1592年)の方陣は『楊輝算法』の一部を使っている。

この「近世」の数学書は、『算法統宗』は民間の貿易で伝わったようだが、李氏朝鮮の教科書だった『算学啓蒙』『楊輝算法』は豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592-3年、1597-8年、万暦朝鮮之役、壬辰之乱)の際に得られたもののようである。

このように「近世」南北中国数学が伝わると、日本では、応用が行われるようになった。14世紀には、『孫子算経』(孫子、400年頃)にあるような「8桁進法」が日本独自の「4桁進法」に変わっていたが、江戸時代になると、更に変化、応用するようになった。

『塵劫記』(吉田光由、1629年)になると、算盤を4挺(丁)用いて平方根を開く商実法を行ったりするようになっている。算盤の欠点である高次方程式が解きにくいことに対する工夫である。この時代を「近世」前和算期(1247-1673)と考えている。

『塵劫記』はベストセラーとなったが、海賊版も多く出版されることに吉田光由は頭を痛めたようである。国立台湾大学にも何冊か塵劫記と題する数学書があるが、吉田光由によるものではなく、後世のものか、同名のものだけである。

また、『塵劫記』では、日本ならではの工夫をしている。中国数学では、問・答・術(本によっては計算過程の「草」も)を記述し、教科書として読者が覚えるものである。これに対して、『塵劫記』1641年版(通称、遺題本)では、答えを付けない問題だけを示して読者に挑戦したのである。『塵劫記』を習得しただけでは解けない難問を出題したのである。これに対して、読者は難問(「好み」)を解くと、さらに新しい術が無ければ解けない問題を主出題するということになった。これを遺題継承と和算史家・遠藤利貞(1843-1915)が名付けた。『塵劫記8』-『算法闕疑抄』(礒村吉徳、1660年)、『算法根源記9』(佐藤正興、1669年)-『古今算法記10』(沢口一之、1671年)-『発微算法』(関孝和、1674年)へと続く遺題継承が一番有名である。これによって、『古今算法記』によって「翻積法」の特例が指摘され、天元術が一応の完成を見た。さらに、多元高次方程式が必要な遺題が出題され『発微算法』によって、点竄術(日本式代数システム)が発明され、これによって高次方程式は新たな段階に到達したといえよう。狭義の和算、日本独自の数学の誕生である。また、点竄術の発明によって、この系譜の遺題継承は完成されたと言えるだろう。国立台湾大学には、3013『算法闕疑抄』だけが所蔵されている。

「近世」勘定方和算期(1674-1780)を画した『発微算法』は国立台湾大学にはないが、関孝和の遺稿をまとめた5001『括要算法』(関孝和遺稿、1709年)や5002『大成算経』(関孝和・建部賢明・建部賢弘、1710年)があり、関孝和の業績が理解できるように収集されている。

この時期にも遺題継承は続き、『天元樵談集』(中村政栄、1702年)から始まった系列がある。すでに、天元術、点竄術を用いて循環小数の研究などにまで及んでいる。『天元樵談集』(中村政栄、1702年)-『下学算法』(穂積与信、1715年)-『中学算法』(青山利水、1719年)-『竿頭算法』(中根彦循、1736; 38年)-『開承算法』(池辺清真、1743; 45年)-『闡微算法』(武田済美、1745; 50年12)があり、国立台湾大学には、5014『開承算法』、5015『闡微算法』および5009『算学便蒙』(中尾斉政、1738; 1741年)が収録されている。

この期間は、役方(事務的武士)、とくに財務関係の勘定方を勤めた武士が数学者となっていることが多い。関孝和や山路主住らがそうである。そこで、「勘定方和算期」としたが、関流の和算がまとめられた時代でもあった。山路主住は『関流算法草術』(山路主住、1762年13頃)として教科書が編纂されたのである。しかし、入門書的な『塵劫記』などは需要があり出版できたが、それ以上の高度な和算を学ぶ人は少なく、出版するほどの需要が無く、写本で伝わっている。学習者が写本することで和算を覚えたという側面もあっただろう。国立台湾大学には、『関流算法草術』19種22冊が所蔵されている。

こうして関流和算が確立すると、地方じかたの村長、豪農層が学ぶようになった。測量や納税など必要な技能だったのである。また、関流以外にも諸派の和算学派があったが、会田安明の創設した最上流が関流に対抗しうる勢力なった。関流の教科書とも言える『精要算法』(藤田貞資、1781年)の成立をもって、「近世」地方和算期の確立と考えている。また、1720年には西洋書の禁止が緩和された。江戸時代はキリスト教を禁止するため西洋暦算書を含めたすべての西洋書が禁止されていたが、8代将軍・徳川吉宗が緩和し、西洋科学の導入を図ったのである。これによって、ネイピアの計算尺を使った「籌算」や筆算といった西洋数学が導入された。国立台湾大学にも8009『筹算指南』(千野乾弘、1767年)がある。

これらは、漢訳のものであったため、先に述べた地方豪農層には広まらず、医学者や兵学者という武士層に広まった。そこで、この時期を近世地方・紅毛和算期としたい。先の『籌算指南』は1781年より先行しているが、地方和算層を中心として、1781年を区切りとした。

また、この時期は、前の時期が遺題継承に対して算額奉納という方法が、伝播に貢献した。難問を解けたことを神仏に感謝するため、数学の絵馬を奉納したのである。もちろん、そうした部分もあるが、この時期に増えた和算塾の広告という側面もあったように思われる。それは、和算塾の一門の師匠が弟子の奉納した算額を和算書に附録として付けたり、本によっては算額を収録しただけの和算書を出版するからである。その際に、弟子から寄付金を集め、出版費用とした。7066『温知算叢』(白石長忠(閲)、1828年)の例では、金2朱(1/8両)である。こうして出版費用を集め、出版したのである。算額は露天にあるため、19世紀のものでも解読が難しいが、こうして算額が記録されたため、当時の問題が現代まで伝わるという副次的効果もあった。このように、算額奉納は、和算塾の経営を助けるという側面もあり、そうでなければ、新たな和算書の出版は難しくなっていたのである。

国立台湾大学の蔵書で特徴的なのは、地方和算期の三河(現・愛知県)岡崎の由精堂(関流10伝・広瀬祐貞、?-1882?)の著書、蔵書を収集したものである。これまで、由精堂蔵書は、日本学士院に17種類があったが、明治維新のためか、来歴が分からなくなってしまっていた。しかし、国立台湾大学には、小さな算学塾にも匹敵する量の算学・天文学書が発見され、にわかに脚光を浴びている。関流11伝の田中至次(?-?)、同門の11伝の川澄徳次(1859-1911)ともども、明治維新をどう切り抜けたのかが興味深い。

最後は、明治維新を潜り抜けた人々の和算書である。洋算派(翻訳派)、陸海軍派、和算転向派などである。しかし、これらの人々の大多数は、洋算にその研究題材を変えてしまった人々である。これらに属さなかった人々が、遠藤利貞(1843-1915)のような人たちであった。かれらは、和算を懐かしむ人たちであったが、その執念は凄まじいものがあった。とくに、遺題継承、算額奉納というところに注目したのは、出色であった。なお、昭和に入ると、古典数学書院(1935年までは沢村写本堂)が、日本の明治前の「誇るべき」数学を覆刻した。また、これらと同時期には、三上義夫(1875-1950)、藤原松三郎(1881-1946)が、こうした数学をまとめた。特に藤原松三郎は、本稿をまとめる上で非常に世話になった『明治前日本数学史』をまとめたのである。

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    • 語言
    • 中文繁體
    • 裝訂
    • 精裝
    • ISBN
    • 9786267741160
    • 分級
    • 普通級
    • 頁數
    • 384
    • 商品規格
    • 菊8開21*28cm
    • 出版地
    • 台灣
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